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茶と禅がもたらしたもの 日本茶道とのつながり

こんにちは


茶禅草堂の浄心(岩咲ナオコ)です。


今春の茶旅で持ち帰った


径山茶をいただいています。


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径山茶は日本に広く育っている


薮北(やぶきた)の原種でなないかと


考えられています。


かつて、禅の修行のために


中国へ渡った僧侶が


茶の種を持ち帰ったお茶の一つに


径山茶であったと


考えられているためです。



禅とお茶の繋がりは深いことは


よく知られています。


特に日本の茶道形式は


禅宗の影響を受けています。


その源流となるのが浙江省杭州から


車で約1時間ほどにある徑山萬寿寺。


径山万寿寺は、浙江省の西北を横断する


天目山脈の山の一つ径山の


標高約800メートル近い山頂付近に


位置しています。


途中車酔いしそうなほどの蛇行道を


上っていき、ようやく辿り着いた


徑山萬寿寺。


車のなかった時代には相当大変だった


ことだろうと思います。


徑山萬寿寺は唐代に建立され


南宋時代には禅宗五山の一つに


数えられるほどの名刹でした。


その当時は約2700名もの僧侶が


修行しており、日本からの留学層も


多い時は約300名も訪れて


いたそうです。

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徑山萬寿寺の裏山には御寺が管理する


茶畑が広がっています。


茶畑の管理も茶摘みや製茶も


僧侶の修行の一貫でした。


御寺での修行を終えた僧侶たちは


帰国後、仏教の普及とともに


お茶を広めていくこととになります。


日本の茶道形式は、徑山寺をはじめ


天目山脈の各寺院で執り行われていた


茶礼が原点とされています。


宋代のお茶の入れ方は点茶法でした。


点茶法とは


茶碗に石臼で挽いた末子茶を入れ


水注で湯を落としながら


掻き混ぜる入れ方です。


日本茶道で使われている茶筅も


点て方も中国宋代に流行った


この点茶法が原点でした。



宋代の点茶
宋代の点茶




また当時は、福建省の建窯で


作られた建盞(けんさん)を好んで


多く使われていました


黒い釉薬(鉄釉)で焼かれた盞は


お茶を白く魅せてることで評価されていました。


建盞もお茶とともに


日本に渡ってきましたが、


天目山の寺院で使われていたことから


日本では「天目茶碗」と


呼ばれることとなります。


唐物として貴重だった建盞(天目茶碗)。


黒楽茶碗はこの建盞が原点と


なっています。


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茶禅草堂の上級課程教室で


中国の緑茶を使って点茶法を


実践してみました。


天目茶碗の黒い器に


お茶が白く美しく映え


まさに陰陽の世界が写し出されており


宋代の茶人や僧侶たちが感嘆する声が


聞こえてきそうでした。


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久しぶりに訪れた徑山寺は


私が十数年前に訪れた時と比べると


国家予算が投じられ大改修され


立派な御寺に成り代わっていましたが


この御寺が全盛期だった時代も


きっと多くの中国と日本の僧侶が


交流し切磋琢磨しながら


修行をしていたのだろうと思いました。


文化は交差の中で発展しています。


繋がりを見ていくと


互いの文化を尊重しあっていた時代が


そこにはあったのだと


垣間見ることができました。



(京都建仁寺では年に一度宋代の茶礼を体験できます)
(京都建仁寺では年に一度宋代の茶礼を体験できます)


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